教育

2017年2月19日 (日)

学歴社会?

今日友人と呑んで、そういえば中学時代は面白かったなぁということを思い出したました。

最近は中学受験も盛んで、ドラマでもそういう題材のものがあります。
しかし、受験の最終目標は大学であったり、大企業や安定した暮らしを求めた就職先ではないでしょうか?
私の地元は大分の東の方の田舎町です。
ところが、なぜかその地域では多分世の中の皆さんが思う学歴の上位といっても問題のない大学である、東大、京大、早大に多数入学しています。(ちなみに慶大は、創始者が大分出身なのになぜかいません(笑))
さて面白いのはそういう田舎の中学の同級生の話です。
就職してから、たまに自分はオール5だったという人の話を何人からか聞いたことがあります。
ところが私の中学では、オール5の人はいませんでした。
というのも英語と国語と社会は5であっても、理科と数学は5でなかったり、5教科以外では全然取れなかったりと、どんなに頑張ってもある教科は取れないという本当に、ライバルという関係になっていて、現在その人たちは社会の第一線で仕事をしています。
当時はその地域に塾というものがほとんどなくて、前述の英語と国語と社会が5だった人を除いては塾に行ってません。つまり理科や数学は塾でやるというよりは、単純な基礎を身につけていれば応用でとれる科目です。
そんなわけで、塾に行っている人と行かない人が玉石混交なって、前述の状態となっていました。
なのに、なんでこのような状況が今の教育では起こっていないなのか?それとも起こっているのにないふりをしているのか?
学力というのは知識を蓄えるものと、単純な基礎から応用するだけの2パターンがあり、それとは別に技能が存在し、全てのことができる人を今まで見たことがないし、それが人間であると思います。
先日、求人広告で魚や肉をさばける人が、その辺の事務仕事やアルバイトよりも良い時給なのが、学歴社会と言われる今の状況を端的に表していて、それが本質のようにみえます。
そして自分が死ぬときに、大企業の下働きだけで終わるよりは、一回は独立した方が悔いがないことは「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味でしょう。
そのためには、たかが受験勉強の内容程度では役に立たないと言うのも確かです。

2015年4月25日 (土)

モノづくり

私は生粋のモノづくり好きです。

小さい頃から、絵を書いたり、音楽を作ったり、プラモデルを作ったりしていましたが、今はソフトウェアを作れるようにもなりました。
そして、その辺が結局、仕事になってますね。

日本はモノづくりの国と言われてきて久しいですが、その現場に大学を卒業してから30年近く、渡り歩いています。
私のように現場を渡り歩いている人間にとっては、モノづくりに真摯に携わっている人が、いろんなところにいることを実感します。
モノづくりと言っても、製品だけでなく芸術作品もあります。

渡り歩いて思うのは、

「技術を持っていたら仕事がなくならない!」

とは「必ずしも言えない!」ということです。coldsweats01
結局、古い技術だけをずっともっていても、その技術は使われなくなります。
時代に必要な技術を常に持っていないと、使い物にならなくなるのは当然です。
昔は譜面読んで演奏するだけでもお金になったでしょうが、今の時代ではある程度のアレンジや作曲も出来て、しかも音楽ソフトも使えないと、なかなか仕事なんてもらえません。
同じく、製品づくりでも、企画や設計だけできれば良いというわけではなく、製品のターゲットとなるハードウェアやソフトウェアの特質を知らないと、手戻りだらけになり、モノは作れません。

つまり何かをするにしても、基本の技術を持ちながら、最終的にそれを形にするハードウェアやソフトウェア知識がないとモノが作れない世の中になったと感じます。

いろんな意味で生き残るには、学校の勉強で終わるのではなく、仕事に関するいろんな勉強をしないといけないということですね。
ただし、学校の勉強は基礎ですし、私も今でも使ってますので、前提として学校の勉強はできておかないといけません。
学校の勉強が必要でないという人がいたら、みっちり説教してあげます(笑)
もちろん仕事上に使わない学校の勉強もありますが、それは自分の進む道を知るために必要であったり、いずれその知識が将来的に仕事や生活とリンクすることもあるという可能性から、必要ないとは言えません。
ということでdash

2015年4月19日 (日)

お父さんの会

私の子どもが行っている小学校には、「お父さんの会」というものがあります。

何をする会かというと、学校の環境を整える作業をやったり、イベントで流しそうめんをやったり、お餅つきをやったり、先生と一緒にプール掃除をしたりと、ほぼ月1回のペースでいろいろやってます。

実は私はその代表をやっていますが、代表といっても学校の連絡係をやるだけで、他のメンバーは『できるときに、できることを、できる範囲で!』というモットーから、来られる人だけが来るので、実は役員というのがいません。
発足当初は常に来る人がほとんどいなくて、校長先生とPTA会長と私だけというような状況の時もありましたが、ここ数年は少なくても5人ぐらいは集まり、多い時には15人をオーバーするような盛況ぶりです。

これってやっていることはPTAの委員会と同じようなことだと思います。
しかし、PTAの委員会となると、なるべく自分が選ばれないようにするというのが、多分いろんな学校での現状だと思います。

基本はみんな自分の子どものためにやるのですが、役員をやることが目的になると話がおかしくなってきます。
お父さんの会では、なるべくゆるく参加できない人は無理に来なくてもいいし、先生とのコミュニケーションもはかれ、保護者同士のつながりもできるという、非常に優れたコミュニティーだと思います。

荒療治ですが、うまくいかなくなったPTAは一旦解散して、リストラするのがいいのかもしれません。

2014年10月25日 (土)

道具(Tool)とは?

私も仕事上、楽器を使ったりパソコンを使っています。楽器の方はそんなに進化はしないものの、パソコン上のアプリケーションの進歩は著しいと思いませんか?

私がコンピュータを使い始めたのは、大学に入ってからで最初は巨大なコンピュータにつなぐ端末でした。
そして大学3年になって、機械系CADの研究室に入ってしまったので、さすがにパソコンなしでは、単位もとれないということで自腹で買いました。当時安くても15万円ぐらいでした。
思えば、サックス買ったり、フルートを買ったり、道具だけはいいものを買ったと思います。
もちろん毎月ネカシナ(金なし)生活をしつつ全部自腹で払いました。

さて今回の話は、それから数十年。パソコン上の道具の話です。
パソコン上の道具といえば、一般的にはソフトウェアですね。以降はソフトと書きます。

前述しましたが、最近のソフトは種類も豊富です。
パソコン上でいろんなことができます。

しかし、例えば某社の会議資料作成ソフト。簡単に資料を作ることができるのはいいですが、誰が作っても同じような資料。フリー素材の画像を使うと本当にどれも同じ感じで、何だか悲しい気持ちになります。
同じく音楽ソフトでは、最初にテンポを決めたり、最初は4拍子だったり、こちらも簡単に作れるのはいいのですが、少し凝ったことをしようとすると急に難しくなります。
自分勝手な音楽を作りたい場合には、トラックだけ作っといてデジタル録音すればできますが、そうなると各パートの音源は、かなりのプロを用意しないと作成できません。
逆に今の音楽ではそういうことはほとんどやっていないので、そのような凝った音源に出くわすことは少なくなってしまいます。

何かの新聞で読みましたが、アニメーションで有名な高畑勲さんも、なぜ手描きの絵にこだわるかというと、市販のアニメーションだと自分の思っていることが表現できない旨を述べていました。

つまりツールでモノを作るのではなくなって、ツールがモノを作る状態が主流になっているということです。
これでは面白いものはなかなか創れないのではないでしょうか?

2014年6月15日 (日)

自己肯定感と芸術のススメ

昨日は小学校の運営協議会に参加しました。

本年度からはPTA会長の任期終了し、保護者の代表ではないので、だいぶ気楽な立場です。

今年からは学校の中期目標を新たにし、これまでは曖昧であった方針を、より現実にある学校の雰囲気にあったものに変わりました。

そのなかで「自己肯定感を持つ子ども」の育成というのがあります。
日本人の特質から、自分に自信を持つ人は非常に少ないと思います。

小さいころから何かと他人と比較して育てられて、学校の成績はもちろんのこと、音楽や絵画や文学などの芸術分野にさえも、順位が付けられています。

私は以前に音楽のコンテストとかも出たことがあります。実はコンテストとか選抜というのが大嫌いで、それ以来何回か応募はしたことはたまにありますが、審査員という偏った人間によって、選ばれる時点でその無意味さを実感しています。

そしてコンテストなしの芸術が、「自己肯定感」につながります。
芸術自体は各個人がそれぞれの育った環境で作られるもので、決して同じものはできません。また同じ親が育てても、子どもは双子でも性格や友達環境は変わってきます。
それだけでも各個人が異なった境遇になることは明らかです。
技術的に低いものもあるとは思いますが、センスというものは決して他の人と同じにはなりません。

そのような感覚が浸透すれば、自分の存在価値を何歳になっても維持できるのではないでしょうか?

2014年5月25日 (日)

必要な人材とは?

まだ私のブログもPTAで検索して下さる方が多いみたいです。

もう会長職ではないのですが、PTAを辞めて気付くことがいろいろあります。
例えば、もっと良い教育を受けるために、公立校でなく独自のシステムを行う私立校にいく為に、お金がいる。これは確かなことです。
ところが最近、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの企業、Googleが欲しがる人材は、学歴不問です。皮肉にもGoogleでググっていただければすぐわかることですが、1:学ぶ力、2:リーダーシップ、3:謙虚さ、4:自発性、5:専門知識が必要となっています。
米国の習いは数十年後の日本の習いになることは、ここ100年の歴史をみてもわかることです。
では、今の学校教育がこのような方向性になっていくかというとはなはだ疑問です。
もちろん、それが必ずしもよいことではないことかもしれませんが、前述の項目は私も一企業人として納得が行きます。
とくに日本人のリーダーシップのなさは、他国の追随を許しません(笑)
私もリーダーシップはないと自負しています。何しろそういう教育を受けた記憶がないからです。
今日本が行っている教育は、あたかも公務員になるべくカリキュラムが組まれているようです。
なぜなら学校教育で、画家やミュージシャンなどの芸術家が育つカリキュラムなどは皆無ですから。そこまでアウトローではなくても、私が仕事にしているソフトウェアに関しても同様で、他の国にあるように、マスターやらマイスターというような職人的な仕事人を育成する必要があります。
そのためには楽しくやったり褒めるばかりではなく、批判や苦しさから生まれるアイデアが多くあります。物事を多面的に考えるには、プラス思考とマイナス思考とのバランスが重要です。
また日本人自体が職人に対する敬意というものが無くなっている気がします。
単に売れるものを作れる人が素晴らしい人であって、見えないところで地道にやっている人たちを軽く見ている風潮は今に始まったことではないですが、国の地盤を崩壊させる元凶になりかねません。
実際、職人は日本で仕事する必要もなく、重宝してくれる海外に行くことも可能です。
世界が必要とする人材とはどういう人かを、学校教育関係者は真面目考えてほしいですね。

2013年12月14日 (土)

マーチング全国大会!

今日はさいたまスーパーアリーナでマーチングの全国大会があり、今年も金賞をいただきました!

毎度ながらこれもひとえにサポートする先生・保護者・地域の皆さんの協力と、子どもたちの努力の結晶で、どの一つが欠けてもうまく行かないと思います。
しかも今年はどこもレベルが上がっていて、本当に冷や冷やモノでした。
でも本番では今までで一番安定した演奏だったと思います。子どもたちおめでとう!
さて、簡単に全国大会と書いていますが、私が学生の頃に全国大会に行ったことなんて一回もありません。
まぁ吉祥寺音楽祭ジャズコンペティションというのには出ましたが、今はジャズだけでなくていろいろなコンペティションになったみたいですねcoldsweats01
でもそうなるともちろんほとんどの人がポピュラー音楽に走ることは明白ですね。
私自身はコンテストというのはそんなに好きなものではありません。何しろ同じ1曲か2曲をずっと練習してそれを人前で比較して点数をつけるようなものなので、そういう練習しかしていない人がスタジオミュージシャンになっても多分使い物にならないでしょうね。
何しろスタジオミュージシャンは、その場で譜面を渡されて、たまにはその場でキーを変えて録音する必要もあったりしてもそれに対応できないとダメですからね。
皆がスタジオミュージシャンになるわけではないので、どうでもよい話ですが、だんだんそれができる人が減っている感じはします。昔のミュージシャンは現場でいろいろと鍛えられていて、その場の無理難題にも応えていたと思いますが、最近はソフトウェア上で音程もテンポも変えられますから。そして実はそうやって変えた音は不自然な構成になります。
音程を変えてテンポが同じ場合には、その波形を補正しないといけません。
同様に音程を変えずにテンポを速くした場合も同様です。
これも前に書いたことがあるかもしれませんが、世の中が便利になることでの弊害です。
聴く側の能力が下がればそれが受け入れやすくなり、ますます音自体に対するシビアさが無くなってきます。
自分だけであれば自分がつまらないと思う曲は聴かないし、納得できる音は自分で出せるようになればいいだけですが、これが巷で流れるようになると自分の耳に否が応でも入ってしまうので敵わないbearing
この辺りを何とかしたいですねpunch
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